カスター将軍最後の抵抗 - しりはた
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カスター将軍最後の抵抗

翻訳
08 /18 2018
Custer's Last Stand
投稿者:Missy76AL

 私はよくよく状況をつかんでおくべきでした。私は6年生に進級した暁に、自分のミドルネームを「トラブル」と綴ることに決めました。だってみんなキュートだと思うでしょ?私は二番目の子にして末っ子で、「しまった忘れてた、まあいいか」を人生のモットーとして生きていました。もはやお尻を叩かれていたのは過去のこと。過去というか、正しくは古代の遺物。それにお尻ペンペンが日常だった時でも、膝の上に乗せられて数発ぺしぺしされるだけ、ヘアブラシを使われる時でも同じ数で、それを超えた経験なんてありませんでした。姉は私よりずっと厳しくお尻を叩かれていたけれど、彼女は私より3歳も年上なんだからきついお仕置きは当然だと私は思っていました。
 12歳の私は世界の頂点に立っていました。その日私は外出禁止を喰らっていました。宿題を提出していなかったとか、間抜けなことをしでかしていたんだと思います。でもその週末は天気にも恵まれ、私は一番の親友が開催する誕生日パーティにどうしても参加したかったのです。朝食後、私と母は、一緒にお皿を洗いながら、仲良くおしゃべりしました。そして私はママに、すこぶる丁寧かつ感じの良い言葉づかいで、パーティに行ってもいいかどうか尋ねました。

 「だめです」

 来週と再来週の土日は外出禁止で良いから。

 「だめです」

 来週と再来週の土日は外出禁止でいいし、来週と再来週は毎日洗濯をしてお皿も洗うから。ママはこの取引を断らない。私には絶対の自信がありました。ママにも自分の意見に自信がありました。私の申し出を断ったのです。なるほど懐柔はうまくいかないのか。それならと私は声を張り上げ本気でパーティに行きたいのだと主張を始めました。声が大きい。そうママは言いました。怒りがこみ上げてきたので、私は言いました。これは私の声なんだからいつでも好きな時に「クソ大声をあげてやる」。母は言いました。あなたの態度は褒められたものではないわね。私は、私はそういう態度をやめないしママは我慢を覚えたほうがいいよ、と返してやりました。ママは私に部屋に行くように言いつけたので、私は家中の皆に自分が激怒していることを知らせてやりました。私は部屋のドアを力任せに閉めました。ドアの周りの壁にはひびが入っていたんじゃないかしら。姉はこちらに視線を向けて「もうあんた、ただじゃすまないよ」と言いました。そんなことは自分で十分わかっていたので、私は叫びました。「ママが何をしようがどうでもいい。私はあの女大嫌い」

 そして――何も起きませんでした。なぜかって?私が正しくてママは間違っているから。ママも認めざるを得ないでしょ。しばらく私は唇をとんがらせてベッドに座っていたけれど、それから外に出るために服を着替えました。私は断固パーティに出る決意を固めていたのです。なにしろ私が正しくてママは間違ってるんだから。それはとっくに動かし難い事実になっていたはずなんだ。着替え終わると台所に行って、出かけるとママに話しました。ママは答えて言いました。出かけようと心の中で思うことも許しません。意固地になる私。Tシャツをさっとめくりあげるとおっぱいを一瞬見せました。それからママに言ってやったのです。私はもう大人の女。ママは私を止められない。それから、お行儀に問題があるみたいだからママは自分の部屋に行った方がいいよ、と続けました。私がパーティから戻ってくるまでに、ママが自らの考えを改めることができていればいいと思うな。「お話の時間は終わりです」と念押しの台詞も添えておきました。

 次の瞬間私は自分の部屋にいました。何か考える時間も、もちろん何か行動を起こす時間もありませんでした。腕を掴んで私を部屋に連れてきたママは、服を脱ぐように言いました。そしてママは出ていきました。姉はこちらに視線を向けて、私を祝福してくれました――現実世界にようこそ!それから姉は、ママに言う通りにした方が良いよ、と言いました。ママが戻ってきた時、私は同じ場所に突っ立っていました。もうできることはなにもなかったので、私は服を全部脱ぎました。靴下まで脱がされました。ママは私を、脱がせた服も置いてあるベッドの上に座らせて、後はがみがみがみがみ、敬意を示すとかそんな話をしていたんだと思います。ママが口を酸っぱくして言ってくることは当時の私にとって馬の耳に念仏でした。ママは私をベルトで10回叩くと告げて、立ちあがって腰を曲げてお仕置きの姿勢を取るように命じました。私にはママの命令を聞く気なんてさらさらありませんでした。こんなのまともじゃない、と思って私はママに不平をぶつけました。10発が気に入らなければ15発ならどう?これがママの答えでした。ばかげているのを通り越して狂気の沙汰であると私は思いました。10発だっていやなのに、15発なんて耐えられない。ママは3つ数を数えました。私は動きませんでした。また3つ数えるママ。私はやっぱり立ち上がりません。私を痛めつけたいのなら、それに見合った苦労はしてもらわないと困る。私は自分の足をピンと伸ばして踏ん張りました。もしママが立ち上がらせようとしたときには、身体をベッドから床にスライドさせてその場をしのごうとしたのです。ママがまた3つ数えました。私の決意は揺るぎませんでした。私はよくよく状況をつかんでおくべきでした。私の脳も眼球も、次に起こる事態をつかみきれていなかったのです。ママは私の両脚の間に立つと左手でもって私の右足をつかんで持ち上げ、私はバランスを崩して後ろに背中から倒れることになり、ママはその機を逃さず私の両脚をがばと開いてしまいました。魔法みたいにヘアブラシが私の目の前に登場しました。8回から10回、ヘアブラシが股に連続で振り下ろされるのを私は見ていました。脳を痛みの感覚が襲ってきたとき、ママは手を止めて質問してきました。もっと叩いてほしい?それとも立ち上がってお仕置きの姿勢を取りたい?たとえ1発しか食らっていなかったとしても、私は白旗を掲げていたことでしょう。私はそそくさと立ち上がりました。そしてママは、さきほど宣言していた15発を忘れていないことを私にきちんと証明したのでした。私は部屋の隅に座らされました。蚯蚓腫れが盛り上がっていくのを感じました。そこはカーペットが敷かれていない堅い木の床で、座り心地は最悪でした。ママは私にそこから動かないように命じました。もしトイレに行きたくなったらママを呼んで、連れて行ってもらわなければなりません。部屋のドアを閉めるのは許されませんでした。

 少し時間が経って、叔父夫妻が家を訪れてアロン(当時3歳)とヤコブ(当時5歳)を預けていったので、事態はさらに悪化しました。アロンは当然「おしっこ」に行きたくなるわけで、私の部屋の前を通ってトイレに駆けこんでいきました。トイレから戻る時、アロンは立ち止まり「こんちは」と挨拶してこちらの様子を伺いました。それから彼はリビングに戻ると全世界に向けて発表しました。お姉ちゃんがね、床に裸でお座りしていて、おっぱいいっぱい見えちゃった。了解、アロンの言葉が可愛らしいのは認めよう。でも当時はまったく笑えない状況で、だから緩んだ頬は元に戻してほしいと私は思う。もちろんママは、小さな女の子(私のことか?)はお転婆なことをしたら罰を受けて当然なんだと解説を惜しみませんでした。
 私は一日中部屋の隅に座っていなければなりませんでした。いとこたちが帰って行ったあと、ママは私にパジャマのガウンを持ってきてくれました。それからママは私を抱きしめ、両のまぶたにキスをすると言いました。ママはあなたをとても大切に思っているし、今日あなたがしたことでママは深く傷つきました、と。私の心は苦い思いで満たされました。これは本当で、ママは私達のために日々奮闘してくれていたからです。子供のときは、こうした親の恩をあまりはっきりとは意識できないのが、不思議です。



※カスター将軍は南北戦争で活躍したアメリカ陸軍の将軍。強運の持ち主で数々の死線をかいくぐり、無鉄砲とも評された。最後はインディアン戦争の戦闘で強引に突撃して戦死した。
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