2018年07月 - しりはた
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兄弟姉妹と一緒にお仕置き

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07 /23 2018
「EPグループ:兄弟姉妹と一緒にお仕置き」への投稿
投稿者:Breslin456

 ママは強烈な熱意を持って私達を鞭(the whacker)でお仕置きしてくれました。今回はそれにまつわるまた別の話を紹介しましょう。もっとも印象に残っている経験のうちのひとつは、パパの化粧ダンスからガムが1パック無くなっていることにママが気付いたときのものです。

 そのとき私は12歳くらいだったと記憶しているので、弟ふたりは10歳と7歳、末っ子の妹は4歳だったということになります。

 ママは私達にガムについて何か知っているかと質問して、全員が知らないと答えました。ついに頭に血がのぼったママは、もし誰も告白しないのなら犯人が名乗り出るまで全員のお尻を叩くと宣言しました。それでも私達は全員、ガムについて知ってることはないと答えを返し続けました。

 ママの脅しは口だけだろうと私は思っていました。無実なら理不尽なことはないはずだと私はその時点で考えていましたが、ママは自分の部屋に私達を全員連れて行きました。ママは一列に並んだ私達の手をベッドにつかせると、私のお尻を叩き始めました。もちろんそれは私が最年長だったからです。

 私達は全員お尻を年の数だけ叩かれ、それからママは誰か何か知っているかと質問してきました。私達は知らないと答えました。二周目のお尻叩きがはじまり、同じ質問と答えが繰り返されました。三周目のお尻叩きを受ける私の心の中は、いま起きていることが信じられないという思い、だれにせよガムを盗み私達をこんな目にあわせている犯人への憤り、そしてお尻で感じている痛みがないまぜになった状態でした。ママは末の妹と上の弟は無実だと判断したので、彼らは三周目のお仕置きを回避することができました。そして、下の弟がついに自分がやったと告白しました。

 私達三人が受けなくてもいいお仕置きを与えたことに関して、ママは一切謝りませんでした。無実の三人が部屋から出たあと下の弟への苛烈な鞭のお仕置きがはじまったからといって、借りを返してもらった気分にならなかったのは言うまでもありません。

 下の弟への鞭のお仕置きはいつまでも終わらないかのようで、私は本気で心配しました。私達にいつも使われている鞭が誰かのお尻に痕を残しているのを見たのはこのときだけでした。 そしてこの出来事が起こった当時の私も、頻繁にきついお仕置きを受けていたのでした。
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屋根に登る

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07 /23 2018
屋根に登る
Up On The Roof
投稿者:シェリル

 両親は最高の人達でした。姉妹たちと私を機微を持った愛情で育て上げてくれました。私達子供は素晴らしい思い出を紡ぎ、成人してからも成功した人生を送りました。いまからお話するのは私が11歳の頃の経験です。季節は夏。友達のサラが、私とママが滞在しているコテージに一週間泊まることになりました。その年の夏、ママと私はそのコテージにだいたい滞在し、パパは平日の仕事が終わると週末にやってくるのでした。

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60年代のお尻叩き

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07 /23 2018
60年代のお尻叩き
Spanked In The 60's
投稿者:strictsinglemum

 母は、私が何か悪さをすると、書斎に行って服を脱ぎ床にひざまづいて待っているように言いつけました。妹と母との三人暮らしでしたので、この段階では恥ずかしさを感じることはあまりありませんでした。書斎で、母が来るまで待ちました。母は肘掛椅子に座り、私の振る舞いの間違っているところ、そして私がお尻を叩かれる理由について私を諭しました。それから母は私に立ち上がり膝の上に上半身をあずけるように言いました。母はむきだしのお尻を10分間ほどひっぱたきました。ひどい痛みでした。一段落すると母は私に、裸のまま庭に出て小枝を取ってくるように言いつけました。赤いお尻はもちろんさらけ出したままです。もし小枝を取ってくるのが遅れたら、1分につき5発が罰として追加されました。母は椅子に私の手をつかせると、小枝でお尻をぶちました。お仕置きが終わったら、私はまた庭に小枝を捨てに行かなくてはなりませんでした。赤いお尻を晒して小枝を捨てなければならないのに庭の外を人が歩いているときもあって、心の底から恥ずかしい思いをしました。12歳になると、私は裸で庭に出なくても良くなりました。その代わりに私はキッチンまで降りて木のスプーンを取ってくるか、ベッドルームに行ってベルトで打たれるようになりました。21歳で私が家を出るまでこのお仕置きは続きました。

 外出している時にも、教会や市場といった場所で何回かお尻を叩かれた経験があります。私の振る舞いにお尻叩きのお仕置きが及ぼす効果は非常に高く、それで私も自分の娘のお尻を叩いてお仕置きしています。とはいっても母よりもずっと「やさしい」お仕置きを与えているわけですが、効果はやはりはっきりと出ています。母は孫娘のお尻を私のお尻がされたのと同じように叩く事があります。娘たちは母よりも私にお尻を叩かれた方がマシだと思っているようです。

老婦人ケラー

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07 /23 2018
老婦人ケラー
old lady kellar
投稿者:スー

 私は13歳の時に、忘れられないお尻ペンペンのお仕置きを体験しました。そのころ私は母とふたりきりで暮らしていました。母は決してお尻を叩く事はしない人でした。

 ある昼下がり、私は女の子達数人と、「真実と挑戦」(Truth or Dare)を遊んでいました。順番が来て、私は「挑戦」を選びました。ケラーという老婦人が住んでいる家のドアをノックして5回逃げる「挑戦」です。

 3回目の「挑戦」で、私はケラーさんに捕まってしまいました。彼女は私の耳をつかむとそのまま家に引きずりこみ、ベッドに座らせました。そして衣装だんすから革鞭(strap)を取り出し、ベッドに手をついてお仕置きの姿勢を取りなさいと言いました。

 私はその言いつけに従いませんでした。それでケラーさんは、ちゃんとお仕置きを受けるならお母さんには言いつけないであげると言いました。私はお仕置きの姿勢を取りました。

 ケラーさんは私のスカートをめくりあげると、革鞭をパンツのお尻に10回叩きつけたので、私は足を蹴りあげ金切声をあげずにはいられませんでした。それから、私が恐れていたことが現実となりました。ケラーさんは私の下着のふちに指をかけて、足首までひきずりおろしたのです。

 打たれている間中、私は甲高い悲鳴をあげ、足を大きくバタつかせ、泣き叫び続けました。40発を超えた頃になって、やっとケラーさんは打つのをやめました。そうしているうちに表のドアベルが鳴りました。ケラーさんのブリッジ遊びの友人5人が訪れたのです。ケラーさん達がブリッジをしている間ずっと、私は部屋の隅に立たされて、真赤に腫れあがったお尻を晒し続けました。

これで元通り

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07 /23 2018
これで元通り
Getting_even
投稿者:匿名希望

 私はジェニーという女きょうだいと双子で生まれました。私達ふたりは普段は良い子でしたが、もちろん時々は悪いことをしてその報いを受けていました。母は優しい人でしたが、もし私たちがわざと一線を超えた悪さをしたときには、遠慮なく私達のおしりを叩きましたし、道具を使ってお仕置きをすることも躊躇しませんでした。母にとても悪い子だと判断されたときはたいてい、私達は膝の上に乗せられて思いきりおしりをひっぱたかれたものでした。しかし私達が普通では考えられないような悪さをしでかした場合には、キッチンの壁のフックにいつもかけてある丈夫な木製のパドルを母は使いました。普段は、パドルは主に私達への警告としてそこに鎮座していました。私たち双子がパドルでおしりを叩かれたのは子ども時代を通じてそれぞれ二回ほどに過ぎません。そしてそのうちの一回は、私が自分から親に頼み込んでお仕置きしてもらうというかなり特殊な状況だったのです。

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お仕置き用の鞭

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07 /23 2018
お仕置き用の鞭
The wipper
投稿者:Jackie

 両親は私のお尻を叩くのが大好きでした。父はいつも自分の部屋に私を連れていき、ベルトでしこたまお尻をぶちました。私の母はめったにお尻をぶちませんでした。今回お話する出来事はその例外ということになります。

 10歳の時、私は通信簿でFを取りました。父は仕事で家にいなかったので、母は、父が家に帰るまで待つか、母から罰を受けるか、好きなほうを選びなさいと私に言いました。父が帰るまで待つのを選んだら死ぬほどベルトでお尻をぶたれることはわかっていたので、私は母から罰を受けるほうを選びました。

 私は、母が罰でお尻を叩くとは夢にも思っていなかったのです。母がお仕置きに使う道具を取りに行く間、私は母の部屋の隅に立って待つように言いつけられました。私は母が、木製のスプーンを持って戻ってくるのではないかと恐怖していました。

 母が手にして戻ってきたのは、顔なじみのお仕置き用のベルトでした。母はそのベルトをほうきに括りつけました。母が部屋に戻ったとき、私はすでに泣き叫んでいました。彼女は私を裸にしてベッドにうつぶせに寝かせてそのベルトでぶちました。お仕置きが終わった後、私は椅子に座らないで夕食を食べました。痛みがひどかったからです。

 家に帰って来た父に、母は昼間起きたことを伝えました。父はテーブルの向かいから手を伸ばして私の腕をつかみ背中が向くように身体の向きを変えると、スプーンでお尻をぶちはじめました。それから私は地下室に連れて行かれ、父に「お仕置き用のベルト鞭」でまたしてもお尻をぶたれたのでした。

恐怖のスカートたくしあげ

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07 /23 2018
恐怖のスカートたくしあげ
dreaded skirt up
投稿者:Phoebe20

お尻叩きの前のお説教。一番こたえるシチュエーションのひとつは、すでにパンツを下ろされた状態でスカートを高くたくしあげてお説教を受けさせられるケースです。以下のヤフーメッセンジャーのログでは、二人の女性が十代の頃に経験した「スカートのたくしあげ」について回想しています。

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一日で三回お尻をぶたれたときの話

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07 /23 2018
一日で三回お尻をぶたれたときの話
Spanked 3 Times In 1 Day.
投稿者:prettygirl3579

 ある日のこと、私は友達のウェンディの家にお呼ばれしていた。彼女は私達の教会の牧師さんの娘で、牧師さんは私のお尻を叩いてもいいことになっていた。 その日ウェンディと私はふたりで彼女の家の近くにある湖で泳ぐ計画を立てていた。水着の私達はこっそりと近くの湖に向かった。当時の自分達はかなりのおバカさんだったと認めざるを得ない。なにしろまだたったの10歳だったのだから。数時間前まで雨が降っていたので、湖の岸も底も泥でまみれていたというのに、私達はタオルを持ってきていなかったのだ。

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宣告は人前で、お仕置きは家で

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07 /23 2018
宣告は人前で、お仕置きは家で
Public Promise - Private Punishment.
投稿者:margaret3

 私は1950年代に子ども時代を過ごしました。私の母は、外出している時でも、お行儀よくしなさいと警告する意味で私のお尻をパンと叩く事がありました。それでも、それは本格的な「お尻ペンペン」ではありませんでした。母は人前でお尻を叩く事は決してしませんでした。母は私のお仕置きを、家の中で行われるべきプライベートなもの、私の部屋の扉の向こう側で行われるのが最良だと考えていたのです。

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妹が受けた最悪のお尻叩き

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07 /23 2018
妹が受けた最悪のお尻叩き
my_sisters_sorest_bottom
投稿者:ニック

 1954年当時、12歳の私は、母と11歳の妹と一緒にリバプールに住んでいました。父は大戦の最後の週に戦死していました。乗っていた飛行機を撃墜され、捕虜にならないよう逃げ回っているところを殺されたのです。私達三人の生活は日増しに苦しくなっていきました。母は幼い頃にかかった病気のせいで体調を崩しがちだったからです。

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iwayuru

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