2017年06月 - しりはた
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お尻ペンペンごっこ

翻訳
06 /21 2017
http://thehandprints.com/hpBestOfVoy2.html

上記ウェブページでは、お仕置き体験を扱うネット掲示板からよりすぐりの投稿をアーカイブされています。すべてが/fの体験談となっています。気が向いた時に、その中から適当に一編選んで訳していこうと思います。今日訳したのは「お尻ペンペンごっこ」の体験談です。そこはかとなく甘美ですね。

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小さい頃、私と近所の友達のアンナは、それぞれの家で自分が両親から受けたお仕置きを再現する遊びをしていました。そっくりそのまま再現するのがその遊びのルールだったので、強さは加減はありましたが、しっかり痛みを感じる程度の強さで、同じ数だけ相手のむきだしのお尻を叩くことになっていました。同じブロックに住んでいる友達を二人加えて、「お母さんとおてんばな子」のゲームをすることもありました。私達はお母さん役とおてんば役をかわるがわる演じました。そのゲームをするときはたいていお尻はむきだしと決まっていましたが、たまに下着をはいたままのときもありました。私達は四人とも女の子で、6歳から11歳ぐらいまではその遊びで楽しんだと思います。私はそのゲームがとても好きで、それに一番のおてんばでもあったので、その遊びではいつもお尻を叩かれていたものでした。
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お仕置きマニュアル

翻訳
06 /18 2017
とある海外掲示板(現在は閉鎖中)で紹介されていた体罰マニュアル(A Handbook of CP)を訳してみました。

作者についてはよくわかりません(自分でマニュアルの最後のほうに書いていますが、住んでる国では有名人のようです)。アメリカ南部のバイブルベルトと呼ばれる地域ではいまだに体罰が合法とされていますが、そうした地域の保守主義な人が書いたのかなという印象です。とはいえ、もはや絶滅危惧種となっている、お尻叩きを擁護する側のテキストとしてよくまとまっているので訳してみました。

マニュアルは、議論精度の粗密が激しくなかなか突っ込み所の多いテキストになっています。作者が力点を置いているのは、科学的に正しいお仕置き道具の選び方らしく、「皮膚レベルにのみ痕の残るお仕置きでなくてはお仕置きは安全ではない」と言えば済むことを長々と論証してくれています。ただしその過程でお尻叩きの赤みや痛みのメカニズムも説明してくれてるのでまあいいか。安全なお仕置きについて述べているのかと思ったら同じ論拠から「電気コードや乗馬鞭」の使用をおおまじめに推奨してるところはなかなか見ものです。それってどんなに気をつけて打っても内部にダメージいくのでは……

このマニュアルに書かれたことを現実に実行すると、虐待として通報されますので絶対にやめてください。


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母について

翻訳
06 /18 2017
母について
Mother
投稿者:mellowcathy

 ほかのフォーラムでも書いてきたことですが、母は厳しい人でした。私たちは9人家族で、母は私達をまっとうな人間に育てるのに毎日てんてこまいの状態だったと思います。もし私達に躾が必要な時は、私達は自分たちの部屋に行かされて、パジャマを着てダイニングルームに戻りました。宿題を終わらせてから、パドルでお尻を叩かれました。母は革製のストラップも持っていて、ふだんはそれを瓶のふたをあけるのに使っていましたが、そのストラップがお尻に使われることもかなりありました。決まって兄弟姉妹たちが見ている前で、私達は罰を与えられました。パンツを足首までおろすように言われて、それに異を唱えると、私達はそれを完全に脱がなくてはなりませんでした。男子と男子、女子と女子、あるいは男子と女子といった組み合わせで一緒に罰を受ける時も、そうしてパンツを完全に脱がなければいけない時もあって、とても恥ずかしい思いをしました。

 私宛にコメントやメッセージを送ってくれた人達の中には、母がトウモロコシ畑に生息する魔女であるかのように考えている人もいるようです。でも母は私達のためにベストを尽くしてくれただけなのです。

 アパラチア山地が横たわるケンタッキー州の西部で母は生まれ育ちました。母は7人姉妹の末っ子で、彼女が2歳のときに祖父は蒸発し、そのために祖母と、母を含む子供たちは自力で生活しなければならなくなりました。祖父が複数の女性の間に自分の子供を設けていた事が明らかになると、祖父は学校にあがるまえに去勢されるべきだったというのが現在に至るまで続く祖母の口癖になりました。

 祖母は苦境を嘆き、娘たち全員に高校を卒業させるとの固い信念を抱くに至りました。貧困の連鎖を止めるために祖母が取った方策は次のようなものでした。娘たちに高校を卒業させ、同じく高校を卒業してアパラチア山脈の鉱山で高給を得ている男性と引き合わせます。そして娘たちは股を開き、赤ん坊を産むのです。

 母はほかの姉妹たちと同じく高校に進学させられました。牧師さんは、女の子がじゃがいもの皮をむくのにラテン語など必要ないから、と高校進学に反対しましたが、祖母は意に介しませんでした。祖母は、自分の娘たちが男子との交際ではなく勉学に励むように望みました。祖母は日曜日に着るドレス用のベルトを持っていました。もしも娘が高校卒業前に男性といるところを見つけたら、そのベルトを「お日様の光があたらないところ」に使うと祖母は母達を脅したものでした。母を含む祖母の娘たちの幾人かは、その脅しが具体的には何を意味しているのか身を持って思い知ることになりました。

 そうした特別な場合をのぞき、普段のお仕置きには祖母は木製のむちを使いました。そうして正しい所作と勉学の姿勢を娘たちに教え込んだのです。

 母達は貧しく、わずかな衣服しか持っていませんでしたので、子供たちは学校から帰ると、家用に用意された木綿生地のドレスに着替えました。お仕置きはその場に居合わせた姉妹たち全員の目の前で行われました。罰を受ける子供は家用のドレスを脱ぐことになっていましたから、皆の前で裸に近い姿をさらけ出すことになりました。

 だから、私達の受けた躾は母が受けた躾に比べればずいぶん楽なものだったと私は思うのです。

 (2018年7月26日改稿)

iwayuru

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