翻訳 - しりはた
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賢い妹

翻訳
05 /01 2019
Hey, wait a minute...
投稿者:JennyHill1970

 数週間前に、私は旧友数人と妹と会いました。私たちは「古き良き時代」、そして「古き悪き時代」の思い出話に花を咲かせ、自然と話題は学校や家で巻き込まれたトラブルへと移っていきました。
 お母さんと口論するなんて、お姉ちゃんはほんとに馬鹿だったよ、と妹は私をからかいました。事態がもっと悪くなるだけなのに、と。そうは言うけど、10代も後半になって、お母さんの言いつけを破って裸のお尻をお仕置きされる、そんなことは経験してない、と私は言い返しました。
 私はとある夏の出来事を持ち出しました。私は大学生で、夏休みのあいだ実家に戻っていました。母は当時16歳だった妹に、夜は家族の予定があるから外出しないように、と伝えていました。午後3時になると妹は友人たちと泳ぎに行ってしまい、7時まで帰ってきませんでした。母は激怒して、妹の部屋で彼女のお尻を叩きました。
 妹は笑って言いました。お姉ちゃんはほんとに抜けてるんだから、と。もしお姉ちゃんが私の立場だったら、お姉ちゃんは泳ぎに行きたい、とお母さんと口論をはじめて、お母さんはしまいに切れてベルトでお姉ちゃんのお尻をぶっただろうね。お姉ちゃんはお仕置きのときいつも抵抗していたから、私より長い時間厳しくお仕置きされて、それから数日間の外出禁止の罰を言い渡される。お姉ちゃんは自分のしたいことは何ひとつできなかったのに、お尻には蚯蚓腫れ、数日間お家にお閉じ込め。それにひきかえ、私は友達と泳ぎに行って、お姉ちゃんに比べればゆるめのお尻叩きを受けて、週の後半にはまた遊びに行けるんだよ。そう妹は言いました。
 妹は私をよく観察していて、母とは絶対に口論してはいけない、と学習していたのだそうです。何か行動を起こす時に母にお伺いを立てるのは悪手で、したいことがあったらとりあえず行動に移してしまい、お仕置きの段になったら絶対に逆らったりはしないのが良い。というのも、パンツを下ろしてお尻を叩かれるお仕置きは。ほとんどの場合そこまでひどい経験にはならなかったから。そう妹は語りました。
 私は妹の主張を吟味して、彼女の言い分が正しいと認めました。私がお尻を叩かれたのは、そのほとんどが母と議論(母の言い分では「生意気な口答え」)した結果でした。残りのお仕置きの理由の大半は妹との喧嘩でしたから、何か悪さをしてお仕置きされた経験はほんとうに数えるほどしかなかったのです。
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追加罰について

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05 /01 2019
After the Spanking
投稿者:Badpam

 お尻を叩くだけでは罰にならないと考える親が多いことは特筆に値します。そうした親はなんらかの追加罰を組み合わせて与えることで、お尻を叩かれたばかりの子供の精神をさらに追い込みます。疼くお尻に苦痛が追加されることもあれば、身体のほかの部位がターゲットになることもありました。
 私の家の場合、母は私たち姉妹のお尻を叩いた後に必ずたっぷりと浣腸をしました。それから「悪い子」は便座に座らされて、燃え上がるような熱を持つお尻が全体重を支える形になりました。お尻の感触は耐え難いものでした。それから、ママが命名した「反省の時間」(“The hour of shame”)が始まります。私たちは、体を動かすことも誰かと話すことも許されず、まるまる1時間を壁に向いて部屋の隅に立って過ごさなければなりませんでした。
 「お立たせの時間」に関して言えば、その時間を苦痛に満ちたものにすることに多くの親が工夫を凝らしてきました。祖母は私に語ってくれた話によれば、もし彼女が並はずれて悪いことをしたら、まず裸にされたお尻を鞭で打たれるのは決まったことで、それから乾燥した豆の上に膝まづくように命じられました。ストッキングは下ろされ、スカートはたくしあげられ、ブルマ型下着のフラップは開かれた状態にされたので、台所に出入りする皆の目に彼女のお尻に刻まれた痛々しい鞭の跡が晒されることになりました。そして、ばらまかれた乾燥した豆は彼女自身の体重がかかったひざに食い込んだのです。
 また、私は部屋の隅で両手を頭の上で組まされたり、身体の横に突き出した状態を保つように強制されていた人たちを知っています。時には、さらにきつさを加えるために重い本が手の平に乗せられました。姿勢を崩したら追加でお尻を叩くという脅しとともに。この懲罰はかつて学校でよく行われていたものでもありました。
 お尻を叩かれた後の子供が、部屋の隅に向かって背の高い椅子に座らされることもありました。子供の足は地面に届かず宙に浮いた状態ですから、長時間に及ぶ罰のあいだずっと、堅い木でできた座面が疼くお尻を苛み続けることになりました。
 きつい姿勢をとらせることも、子供のお尻を叩いたあとによく使われていたお仕置きの一つでした。子供を片足で、あるいはつま先で立たせて、その状態を維持させるのです。私が知っているひとりの女の子は、ひざをあごのところまで折り曲げて、彼女が呼ぶところの「カエルの姿勢」をとらされていました。時間が経つにつれて、彼女の腰はお尻と同じくらい苦痛を感じるようになったそうです。
 お仕置きされた子供をさらに痛めつけるために、体操をさせる親もいました。しこたまお尻を叩かれたあとで、子供は腕立て伏せやスクワットといったきつい運動を親の気のすむまでさせられたのです。
 お尻叩きが済んでから、口を石鹸ですすぐ罰もまた、特に子供が言い返したり汚い言葉を使ったり両親に嘘をついたりしたときにはよく用いられた罰の方法でした。私の家では、汚い言葉使いをしたらこのお仕置きが待っていました。私も姉妹たちもこの方法で何度かお仕置きされました。たっぷりお尻を叩かれきつい浣腸をもらったうえで、汚い言葉づかいをした口を、水に浸けて泡立てた石鹸で洗浄されたのです。わたしたちのふるまいはすぐに幼いながらもレディのようになって、港で働く労働者のような言葉づかいはなりをひそめました。当然、そのあとには1時間のお立たせの罰が待ち構えていました。
 そう、多数の親にとっては、お尻をたっぷりと懲らしめるだけでは十分ではなかったのです。男の子も女の子も、そうしたちょっとした「追加罰」に耐えなければならなかったのでした。

少女時代の母が受けたお仕置き

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05 /01 2019
How Mom Was Spanked
投稿者:Badpam

 お尻を叩かせたら母に敵う人はいない。私たち三人姉妹はその生き証人です。母のお仕置きを受けた娘はいつも、簡単には座れない状態になりました。母が私たち姉妹のむきだしのお尻にふるったのは木製のヘアブラシで、その痛みは恐ろしいものでした。
 ある日のこと。母は、比べてみれば、ヘアブラシのお仕置きを受ける私たち三人は楽をしているのだと私に言いました。詳細まで踏み込んではくれませんでしたが、母は彼女の父(私の祖父)にどんなふうにお尻をお仕置きされたのか語ってくれました。
 母も私たちも、育ったのは農地の広がる小さな町でした。ほとんどの家の敷地には林と納屋がありました。母は第二次世界大戦中に少女時代を過ごし、彼女が語った通り、その当時の親は厳しく子どもたちを躾けたものでした。
 母が悪さをすると、祖父は彼女を納屋に連れていきました。途中で祖父はしなやかな枝を切り取りました。不幸中の幸いというべきか、母は自分のお尻にこれから使われる枝を選んで切り取る必要はありませんでした。当時はそうやって子供に恥ずかしい思いをさせるのはありふれたことでした。それまで私は小枝の鞭は男の子に使われた道具だと考えていたのですが、どうも女の子達も小枝の鞭を普通に受けていたようです。納屋に入ると、祖父の言いつけに従って母は木製の木挽き台の上に上半身を横たえ、それから手で横木をしっかりとつかみました。祖父は母のドレスとスリップをまくりあげて、白いブルーマ型の下着を引きずりおろしてお尻をむきだしにしました。こうして準備が整うと、祖父は母のお尻の上のほうからふとももの中ほどに至るまで小枝をふるい、哀れな母は全力で叫び声を上げました。お仕置きの結果、母のお尻はささくれ、切り傷からは血が流れることになりました。こうして打たれた後、下着を上げた母が弱々しい足取りで母屋まで戻ると、祖母は母のお尻の切り傷に軟こうを塗ってくれたそうです。その後しばらくの間、母が座ることがひどくつらい経験になっただろうことは疑いようがありません。
 こうして比較の機会を得たことで、ヘアブラシは小枝よりよっぽどありがたいお仕置き道具だと私たちは思いましたし、小枝の鞭でお尻がクリスマスディナーに出てくる網目の入ったハムみたいになるまでひっぱたくようなお仕置きを母が控えてくれていることには感謝の念を抱きました。
  とはいえもちろん、ヘアブラシのお仕置きはピクニックだ、なんて私たち三人姉妹が考えるようになったわけではありませんでした。

ケインのお仕置き

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05 /01 2019
投稿者:不明

 目撃したお仕置きのうち最悪のものは、友人達のうち一人の女の子がケインでお仕置きされたときのものだと思います。友人達は英国出身で(かっこいい響きでしょう笑)、彼女は厳しいお仕置きが必要な時にはケインを使われていました。彼女がちらっと口にするまで、私はケインなるものを知りませんでした。

 そのとき私たちは8歳か9歳ぐらいで、彼女の両親は買い物に出かけていました。彼女は家事や庭仕事を終えるまで、外出したり、友達と遊んだりしないように言いつけられていました。友達の家にはとても美しく手入れの行き届いた庭があり、友達は庭仕事を嫌っていました。彼女の両親が帰宅して目にしたのは、途中で放り出されたお手伝いの様子と、4人の友達が家の中に招き入れられている光景でした。ご両親はかんかんになって友達をすごい勢いで叱りはじめました。

 ケインで懲らしめるとおじさんが伝えるやいなや、友達の目には涙があふれ、許してくださいと懇願を始めました。私たちは全員、友達のお手伝いに協力すると申し出ましたが、おじさんに2時間遅いと言われてしまいました。

 おじさんがケインを取りに行っている間に、おばさんは友達の服を脱がせて、部屋の真ん中に運んだ椅子の背の側からシートに手をつく姿勢をとらせました。おじさんは戻ってくると数分間お説教をして、それからケインを友達のお尻に厳しく打ち込み始めました。彼女が何発打たれたのかはわかりませんが、友達のお尻の上のほうからひざの裏まで、隙間なくみみず腫れが刻まれていたのを覚えています。これまで生きてきて、こんなものを見たのは一度きりです。彼女は自分の部屋に行くよう命じられ、私たちも帰宅させられました。

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原文:https://thehandprints.com/hpBestOfVoy2.html

お尻叩きは素裸で

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05 /01 2019
Nude Spankings
投稿者:Missy76AL

 お尻を叩かれるとき、私たちは必ず素裸にされました。母はできるだけお仕置きの数を減らそうとしてくれていましたし、私たちもその方向性で努力はしていたのです。平日のママにはお仕置きするような時間もエネルギーも残っていなかったので、私たちがお仕置きされるのは土曜日だけでした。平日のお仕置きは非常にまれで、特別なだけあって痛みもまた格別だったことを覚えています。ママは私たちを些細なことでは決してお仕置きしませんでした。私たちがお仕置きされるのは、たいていは重大な問題を起こした時だけでした。家には妹と私しかいませんでした。男兄弟はいなかったしママは離婚していましたから、家には私たちだけでした。お仕置き待ちの時間は時にお仕置きそのものと同じくらい嫌なものでした。お仕置きの日の朝、ママは私たちを起こすと、お尻を叩かれることが決まっている娘にパジャマを着替えないように言いつけました。私たちはパジャマ姿で、あるいはナイトガウンだけを羽織った状態で朝食を食べました。朝食が済むと、私たちは部屋に戻り素裸にならなければなりませんでした。そして自分のベッドを整えて待たされました。朝食の後片付けとキッチンの掃除を終えたあとに、ママはお仕置きを待つ自分の娘の「処置」にとりかかりました。娘の、というよりも娘のお尻の処置と言ったほうがより適切かもしれません。そして、ときにはママはお尻以外の場所の処置にも力を入れたのです。先ほど述べたように、ママのお仕置きは頻繁に行われる類のものではなく、私たちがお尻を叩かれるときは、相当な悪さをしでかしたときがほとんどでした。それで、私たちはヘアブラシとベルトで躾をされました。さらに罪に応じて、ママはヘアブラシを私たちの身体の前側にも使う「処置」をとることがありました。ご想像の通り、それは大変な痛みでした。
 お仕置きが済むと、裸のまま子供部屋の隅に座らされました。お仕置きを受けていないほうの子が宿題をしなければいけないときは別で、お仕置きされた子は掃除用具が入っている部屋にある竜巻退避用のシェルターにつながる跳ね上げ扉を開けなければいけませんでした。そのシェルターには、金属製の折りたたみ椅子が数脚と、ハリケーン用のランプとトランジスターラジオが置いてありました。私たちはシェルターにつながる階段を下りて行き、一番下の段に座っていなければなりませんでした。階段は石でできていたので、座っている時間は大変辛いものになりました。気温が低いときは、屋根裏部屋につながる階段の一番上の段に座らされましたが、居心地が大幅に改善されたとは感じませんでした。母は私たちを二時間ほど座らせたままにしておいて、それからキッチンに連れ戻していくつかの質問をしました。私たちが教訓を受け入れたと母が判断した場合は、シャワーを浴びて洋服を着ることができましたが、お眼鏡にかなわなかった場合はさらに二時間を階段で過ごす羽目になりました。
 八歳のときに、私はママのお財布からお金をくすねて、見つかってしまいました。土曜日になるまで待たされて、盗みと監獄について長いお説教を聞かされました。このときは、お尻だけをベルトでぶたれました。お仕置きが済むと、私は竜巻退避用シェルターに降りる階段の一番下の段に座るように命じられました。ママは悪いことをした人たちは牢屋に閉じ込められます、と言って電気を消し、シェルターの扉を閉めました。数分も経たないうちに、ママは扉を開けて電気をつけてくれました。
 お尻の反省は私の心にも刻み込まれたので、それからというもの、許可なく人の物を取りたいという衝動を私が感じることはありませんでした。

iwayuru