翻訳 - しりはた
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カスター将軍最後の抵抗

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08 /18 2018
Custer's Last Stand
投稿者:Missy76AL

 私はよくよく状況をつかんでおくべきでした。私は6年生に進級した暁に、自分のミドルネームを「トラブル」と綴ることに決めました。だってみんなキュートだと思うでしょ?私は二番目の子にして末っ子で、「しまった忘れてた、まあいいか」を人生のモットーとして生きていました。もはやお尻を叩かれていたのは過去のこと。過去というか、正しくは古代の遺物。それにお尻ペンペンが日常だった時でも、膝の上に乗せられて数発ぺしぺしされるだけ、ヘアブラシを使われる時でも同じ数で、それを超えた経験なんてありませんでした。姉は私よりずっと厳しくお尻を叩かれていたけれど、彼女は私より3歳も年上なんだからきついお仕置きは当然だと私は思っていました。

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おしゃべりのお仕置き

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08 /18 2018
too loud
投稿者:サマンサ

 私が子供だった1950年代には、お尻のお仕置きは常識で、親に従わなければお尻をひっぱたかれると私達一つ屋根の下の子供たちは肝に銘じていました。私はあるお仕置きを良く覚えています。その時お尻を叩かれたのは、当時10歳だった私と、当時13歳だったマットという名の兄でした。

 マットと私は長男長女だったのでとても仲が良い関係にありました。ほかの弟妹たちは上から順に、8歳の妹レベッカ、7歳の妹メーガン、5歳の弟ベン、3歳の妹メアリー、そして1歳の妹ヘザーでした。ヘザーはまだ1歳なので専用の子供部屋を使っていました。そのほかの子供たちは二つの部屋を、マットとレベッカと私でひとつ、ベンとメアリーでひとつ、という風に割り当てられて使っていました。

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酔いから覚めたら

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08 /18 2018
sobering up
投稿者:ジェーン

 私は教育方針にお仕置きががっちりと組み込まれた家庭に育ちましたが、最も記憶に残っているのは、私が16歳のときにメアリーおばさんの家で受けたお仕置きです。

 おばさんの家は7人の女の子と3人の男の子を育てる大家族でした。ある年の夏、私はカントリーフェアを見に来るように誘われて、その家で数週間を滞在させてもらうことになりました。

 私はフェアの会場でビールが入ったグラスが放置されているのを見つけました。私は一線を踏み越えてそれを飲んでしまいました。私は千鳥足になっていましたし、家に帰る道中、おばさんは私の息がビール臭いことに当然気付いたことでしょう。しかしおばさんはその日の夜は何も言わず、私は悪事がばれなくて済んだと考えてベッドに入りました。

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我が家のお仕置き

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08 /18 2018
Family Routine
投稿者:エリカ

 以前ご紹介したのは、ふさわしくない言葉づかいをした私の口を母が石鹸で洗い流した方法でした。今回は、私も含めた家の子供達がお尻を叩かれる罰を受けるときの様子についてお話したいと思います。罰の段取りは私達が幼いころから18歳か19歳になって家を出るまで一貫して変わりませんでした。
 私にはふたりの男兄弟とひとりの女兄弟がいて、家のルールは私達にはっきりと提示されていました。割り当てられた家の手伝いを忘れないこと、門限を破らないこと、そして大事なこととして学校の成績を良い状態に保っておくこと。親に多かれ少なかれ無礼な態度を取ったときや、校則に違反したときには、いずれの場合も厳しい罰が待っていました。
 両親はそうした違反の数々を、家族の問題として捉えていました。違反した子供は家族全員に失礼な行為をしたと考えていたのです。そのため、罰は家族全員がかかわる形で執行されました。そうすることで、家のルールは必ず守られるべきものであると皆が再確認できるのみならず、罰を受ける子供に恥ずかしい思いをさせる効果も生まれたのでした。
 家のルールを破った子がいると、その子にはまず罰が宣告されました。両親は頭に血が上った状態でお仕置きすることは決してありませんでした。お仕置きはよくよく計画されて行われるべきものだったのです。お仕置きの時間は、夕食が終わり台所の片づけが終わった午後8時と定められていました。もしある晩に誰かがお仕置きされることが決まっていれば、夕食の席で発表があり、その後家族全員がリビングに集まり一部始終を見届けることになりました。
私の考えでは、お仕置きで最悪なのは待機時間でした。
 父がお仕置きをしないというわけではありませんでしたが、ほとんどの場合、お尻を叩くのは母の役目でした。私達を膝に乗せてヘアブラシか木べらでお尻を叩くのが母のお気に入りのやり方でした。一方、父は椅子の背に上体を預けた私達のお尻にベルトを使いました。道具に多少の変化はありましたが、ほかはいつも同じ段取りでした。まず台所の椅子がリビングに運び込まれ、お尻を叩く道具が椅子の座面に置かれました。お仕置きを受ける子供(達)は椅子の前に立って、たいていはその道具を見つめ、両親が来るのを待ちました。
 その間、ほかの家族はソファか椅子に座りお仕置きを待ちました。待機時間は恐怖と絶望を感じる時間で、長さは少なくとも15分、もし私達全員が罰を受けるときは1時間にも及びました。同居しているおばは常にリビングの特等席に陣取り罰を待つ私達を非難する言葉を浴びせかけてきたので、待機時間はさらに耐えがたいものとなりました。
 そしてようやく、父か母がリビングに姿を現します。母の場合は、椅子に座り今回の罰の理由を述べて、罰を受ける子供(達)に準備を促しました。ここで子供達は腰から下は裸になりました。私達は成長すればするほど、裸になるこの段階で耐えがたい恥ずかしさを感じるようになり、隠しておくべきものを隠すため、皆が手で前を覆って待ちました。
 母に名前を呼ばれた子供は、膝の上におずおずと上半身を乗せました。母は私達のお尻をヘアブラシか木べらで撫でるようにして、その時にはすでに罰を受ける子供のすすり泣きが始まっていました。そしてお尻叩きが始まりました。
 強く間隔の短い叩き方で、お尻の全面をカバーするようにお仕置きははじまります。私達はすぐにもがきはじめ、両脚を空中で全力でばたつかせました。リビングは私達の泣き声で満たされました。
 母は叩く数を決めておらず、私達が泣き喚いて赤ん坊のように口からよだれを垂らしお尻が深い紅色に染まるまで、まるで永遠に終わらないかのようにお仕置きを続けました。もしも子供達がお尻をかばうために手を後ろに出したとしたら、母はただ手を止めて待ち、数分後にはいままでよりも力のこもった終わらないお尻叩きがはじまることになりました。ですから、子供達はなんとしてでも努力して、お尻をかばわないように我慢する必要がありました。
 お尻を叩き終えると、母は私達を膝から下ろして目の前に立たせました。私達はその場にとどまったまま、駆け足するみたいに足踏みして、痛いお尻をさすりました。恥ずかしいところを皆に見えてしまっていても、構ってはいられませんでした。母は私達の腕をつかんで暖炉まで引っ張っていき、そこで立たせました。続けてほかの子供がお仕置きが行われる時もそこで待たされました。たいてい暖炉の前のお立たせは1時間ほど続き、その時間で私達は痛みを和らげるためにお尻をさすり、涙を乾かしました。
 全員のお仕置きが終わると、私達は自分が脱いだ服を拾い集めさせられて、それから自分の部屋に連れていかれて朝まで外に出ないように命じられました。
 私は、大学に通うために家を出るまで、平均して1カ月に一回のペースでこのお仕置きを受けていました。記憶している限り、子供達のうち誰かがお仕置きを受けることなく一週間が過ぎることはなかったと思います。
 お仕置きの後、お尻は数日間ひどく痛みました。それでも、怒りにまかせてお仕置きされたと私が感じたことはありませんでしたし、大事なのは、当時私はお仕置きは完全に自分が悪いことをした結果であると納得して受けていたことです。罰はもっとも苦痛を伴う経験になるように考え抜かれ実行されていましたが、その甲斐あって私達は責任を学び、より良い人間に成長することができたのです。

毒を出す

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08 /18 2018
Cleaning out the Poison
投稿者:ウォルター

 当時私は8歳で、鼻高々だった。私は兄のタバコを2本吸って、それがばれていないと思っていたのだ。しかしキッチンに入ったところ、それが正しくないことはすぐにわかった。母が待ち構えていたのだ!
「すぐに自分の部屋に行きなさい。ママの目はごまかせないよ。靴とズボンは脱いでおく。ママが呼んだらすぐに来ること」 お察しの通り、お尻ペンペンは確定しているようだった。
 すぐに母が私を呼ぶ声が聞こえた。「こっちだよ!」声はバスルームから聞こえてきた。私がバスルームに入ると、母が便座に腰をおろし、脇の洗面台の上にはヘアブラシと洗面器一杯の水、そして浣腸用の小さなポンプ(Enema bulb)が置いてあった。
 「ママ!浣腸は嫌い!やめて、お願い!」母は私に近くに来るように合図すると、下着を膝まで下ろし、私を膝の上に乗せた。
 「タバコは身体に毒なの!だから毒を出してあげるんです。その間に悪い子のお尻はほっかほかにしてあげるからね」
 母の手がお尻を割り開くのを感じ、潤滑剤の塗られた冷たい浣腸用ポンプの先がお尻に入ってきた。お湯といってもいい温度の水が勢いよく流し込まれるのを感じた。ポンプの先端が抜かれたと思ったら、母の平手がきついお尻叩きをはじめたのがわかった。10発のあと、再度ポンプの先端が挿入された。次に来たのはヘアブラシで、左右のお尻をそれぞれ10発ずつひっぱたかれた。
 私は、もう許してと泣き叫んでいた。お尻は燃え上がるように痛み、便意もこみあげてきていた。それから3回、冷たいポンプの先が挿入され、おなかがお湯でぱんぱんになっていくのを感じた。挿入されるたびにお尻叩きが続いた。平手のときもあればヘアブラシのときもあった。
 ついに母は私を膝から下ろし、用を足すことを許してくれた。母はバスルームから出ていき、私は一人残されて、自分の過ちについてじっくり考えたのだった。少しすると母はドアから顔をのぞかせて、「終わったら自分の部屋に来なさい」と私に声をかけた。
 部屋に入ると、母は私のベッドの横にいた。「これからストラップで5発だからね。そうしたらベッドに入ってよし」
 私はベッドにうつぶせになり、すでに腫れ上がったお尻にストラップが振り下ろされた。お尻がほかほかの熱を持っているおかげで私はその夜なかなか寝つけなかった。良い子になろうと私は心から誓ったのだった。

iwayuru

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